羽生結弦オリンピックの舞台裏・ケガとの闘いから金メダルへ/平昌五輪
投稿日:2018年2月20日 更新日:
男子フィギュアスケート、シングルでは、羽生結弦選手が金メダルを獲りました。
羽生選手はケガも多く、ソチから平昌までの4年間、逆境の連続でした。
それを乗り越えての金メダルです。
今回は、ソチ五輪から平昌五輪までのケガとの闘いと、金メダルを獲ることができた要素についてまとめました。
競技後のメダリスト会見(2018.02.18)
手術もあって捻挫もし、本当に怪我と病気とずっと苦しみながら4年間を過ごしたわけです。
順風満帆で何もなく、うまくいっていたとしたら、多分オリンピックで金メダルを取れていないです。
はっきり言えることは、痛み止めを飲まない状態では、到底ジャンプが降りられる状態ではないし、飛べる状態でもないというのは分かっていました。
競技後の会見で、羽生選手は、このように言っています。
ソチ五輪から平昌五輪までの4年間を振り返り、再び金メダルを獲ることができた舞台裏をまとめました。
ケガとの闘い
ソチ五輪のあとの、羽生選手のケガをみていきたいと思います。
・ソチ五輪9ヶ月後、2014年GP 中国大会公式練習
覚えている人も多いと思います。
演技の直前に選手と激突してしまいました。
その時のことを自叙伝(蒼い炎Ⅱ)に次のように書いています。
最初はお腹が痛くて息ができなくてそれで立ち上がれませんでした。
立ってみたら顎が痛くて出血もしていたので頭がパニックになって。
簡単な治療でリンクに戻ってきたときに、コーチのブライアンオーサー氏に「君にしか状況は分からない。ヒーローになる必要はないんだ、体が一番大事なんだぞ」と言われました。
私も観ていました。
頭に包帯を巻きながら、羽生選手は「飛ぶ」と言って氷上に戻っていきました。
そして銀メダルを獲ります。
その時のケガの状態は、頭顎、お腹、太もも、右足の関節などの負傷でした。
・2014年12月全日本選手権
衝突事故からわずか1ヶ月後です。
羽生選手は尿膜管遺残症を患っていて、激痛と闘っていました。
胎児の時に「へそ」と「膀胱」をつなぐ尿管膜が残っていることで、度々お腹で炎症を起こしていたのだそうです。
尿管膜が袋になってしまった所に膿ができ、袋が破裂してまた再発する、という状態でした。
このときの羽生選手は「壁の先には壁しかないのかな」と思っていたそうです。
そのような状態で、全日本選手権で3連覇を果たし、三日後に手術をします。
・2015年右足捻挫
・2016年左足の甲の靭帯損傷
・最大の試練2017年11月9日グランプリ日本大会
GP日本大会の公式練習中、4回転ルッツの着地に失敗してケガをしてしまいます。
右足関節外側靱帯損傷、オリンピックまで100日を切る中での大怪我、全治3~4週間でした。
そして、オリンピック本番わずか1ヶ月前までジャンプが飛べなかったのです。
それでも大会に出続けたのは母の教え
「結局ケガしたのは自分のせい、助けてくれる人がたくさんいるからここまでできたんだよ」
お母様と話す中で、応援を受けて頑張ろうじゃなくて、応援をそのまま受け取る、受け取ってそれを力に変えようと思ったそうです。
今まで怪我を克服できたのは、自分一人の力ではないことをお母様が気付かせてくれた、と言っています。
オリンピックの舞台裏
足の状態
インタビューでも答えていますが、足は治ってませんでした。
もう治らないと諦めて、痛み止めを飲んで練習を始めています。
もちろんテーピングもしていました。
年明けに氷に乗り、最初の日は氷の上に立っただけ、翌日は軽く滑っただけだそうです。
初めてジャンプを飛んだ時は、たった1回転なのに、足の裏が痛かったと言っています。
本当は12月の全日本選手権での復帰を考えていましたが無理でした。
オリンピックの団体戦も、12月にはすでに諦めたとのことですので、状態の悪さがわかります。
そしてぶっつけ本番のオリンピックになりました。
新聞にこのように書かれていました。
ジャンプを飛び始めたのはわずか3週間前、それでも四回転サルコウもトウループもアクセルもトリプルジャンプ全て、何年間も行ってきたので覚えていてくれました。
本当に、スケートに人生をささげてきたからこそだと思いました。
金を獲るためのジャンプ
冒頭の4回転
冒頭の4回転をサルコウにすることは、当日の朝に決めたそうです。
最後の最後まで悩んで、得意のサルコウに決めました。
トリプルアクセル
羽生選手の得意なジャンプはトリプルアクセル。本人も好きだと言っています。
羽生選手のトリプルアクセルのどこが凄いのか、佐野稔氏の解説をご紹介します。
・通常のトリプルアクセルは、右足にのり、前向きになったときに左足にのり、左足で踏切る
・羽生選手は、左足にのり、左足のままターンをして前を向き、そのまま左足で踏切って飛ぶ。飛ぶまで一度も右足を使わない
文章にすると分かりにくいですが、通常は「右→左」と足を変えて飛ぶところを、羽生選手の場合は「左」だけで飛ぶのです。
ケンケンで前を向きながらジャンプして回転する、という感じでしょうか。
ショートで単体のトリプルアクセルを飛んでいますが、GOEは満点の3.00です。
ルッツ
フリーで最後に飛んだジャンプは3回転ルッツです。
ルッツは、11月のNHK杯でケガをしたジャンプで、4回転ルッツの練習時に転倒してケガをしました。
きっと嫌な記憶があると思いますが、克服し最後にルッツを飛びました。着地の時に体勢は崩れましたが、右足で耐えました。
転ばなかったことは、ミスを最小限に抑え、金メダルにつながりました。
4回転サルコウ、4回転トウループ
トウループとサルコウの4回転は、羽生選手が世界最高得点(330.43)をだしたときに飛んだジャンプです。
難易度はそれほど高くありませんが、今回もトウループ、サルコウの2本で勝負しました。
難易度を下げても、完成度を高め、GOEを満点の3.00をとっています。
また、サルコウはソチのフリープログラムで転倒したジャンプです。
羽生選手は、ソチで満足のいく演技ができなかったことが悔しいと言っていました。
今回は素晴らしいジャンプを飛んで、しっかりリベンジを果たしました。
心理戦
羽生選手は、ショートの前の公式練習で4回転ループを飛びました。
小塚崇彦氏の話では、
・難しいジャンプを飛んでおくことで、他の選手にプレッシャーをかけたのではないか。
・羽生選手がループを飛ぶなら、自分たちはもっと点数の取れるジャンプを飛ばなければと思う。
佐野稔氏の話
・実際にトリノで金をとった荒川静香さんがその戦略をやっていた。
・公式練習で、3回転+3回転や3回転+3回転+3回転などを思いっきり飛んでいた。
・他の選手は3回転+3回転を飛ばなければ勝てないと、リスクをとり失敗が続く。
・実際に荒川静香さんが飛んだのは、3回転+2回転だった。完璧な演技で金を獲った。
練習で4回転ループを飛んだのは、確認もあったかもしれませんが、他の選手にプレッシャーをかけるという意味もあったのかもしれません。
そして、巡り合わせなのか、11月9日のケガから丁度100日目にフリーがあり、金メダルを獲得します。
そしてその金メダルは、1000個目となりました。
羽生選手は、ケガが多く、さまざまな逆境がありましたが、その度に乗り越えてきています。
その逆境がなかったら金メダルも獲れなかったと言っています。
今回は「金メダルを獲らなければいけない」という気持ちで、「色々な物を捨ててきた。金メダルのためだけに生きようと思った」と言っています。
選手なら、皆金メダルは獲りたいと思うと思いますが、誰よりも強い思いが感じられました。
羽生結弦選手の今後
メダリスト記者会見で、
もうちょっとだけ自分の人生をスケートにかけたい。4回転アクセルを目指したい。と言っています。
もう少し、羽生選手のことを観ることができそうです。
羽生選手は、今回のオリンピックで「幸せを手に入れた」と言っていました。
幸せを手に入れ、金メダルのプレッシャーから解き放たれた演技は、また素晴らしいものになるのではないかと期待しています。
ケガをしっかり治して、また素敵な演技を見せて欲しいです。
それでは、
最後までお読みいただきありがとうございました。