小室哲哉さんの会見後、ワイドショーをみて感じたこと
投稿日:2018年1月22日 更新日:
ワイドショーで、小室さんの会見のこと、あーだこーだと言っています。
どの番組でも取り上げるので、どうしても耳に入ってきます。
小室さん会見後のワイドショー
私の勝手な気持ちですが、
「あそこまで言ったのだから、もうそっとしておいてあげればいいのに」
「部外者が小室さんのことを話し合うことに、なんの意味があるのだろう」
そう思ってしまいます。
でも、他の人がなんと言っているのか気になってしまう、というのも否定できません。
私も結局、野次馬なんだな、と思うとちょっと後ろめたい・・・。
批判されている部分
小室さんの苦労を分かるとした上で、批判されていることがあります。
1点目は、KEIKOさんの病状を話した部分です。
あそこまで話したことが許せない、話さなくていい、介護が大変の一言でいい、言うのはおかしい、失敗だ、などという意見です。
私は「許せない」とは思いませんでしたが、会見をみているときは「そこまで言う必要はあるのかな?」と思いながらみていました。
でも見終わったときは、違う思いになりました。
もう1点は、不倫騒動に対する会見なのに、引退会見になってしまったこと。
いいか、悪いかは私には分からないけど、話しの流れを聞いて、私は理解はできました。
だから、マスコミから質問がいくつか出たところでTVを消しました。
聞く必要がないと思ったし、マスコミの質問を聞きたくないと思ったから。
批判している人に向けて
私は介護はしたことがないし、偉そうなことを言える立場でもありません。
小室さんのことは、曲こそ知っていますが、特別ファンではないし、かといって嫌いなわけでもありません。
ただ、一方的な意見を言う人に、少しは人の気持ちを考えるすき間を作って欲しいと思いました。
批判されている内容も分かります。
でも、断定してそれだけを押し付けるのではなく、他にも可能性があるかもしれない、ということを視野に入れて欲しいなぁと思いました。
会見から感じたこと
私は、小室さんがKEIKOさんの病状を話したことについて、
あそこまで言ってしまう精神状態だったんだな。
どうしても男女の関係を否定したかったんだな。
あそこまで言わないと、たぶん分かってもらえない、会見が終わった後も、ずっと疑惑として報道され続けると思ったんだな。
もう疲れきってしまって、すべてをさらけ出して、この報道を終わりにしたい。
そんな思いだったのかもしれないな、と感じました。
例えば不倫の釈明会見として、「体調が悪かったので、来てもらった」と言ったところで、信用してもらえないだろうし、ワイドショーも「そんなことは通用しない」と言うでしょう。
言ったら言ったで責められ、言わなければ「説明不足だ」「通用しない」と言われ、どちらにしても報道が続くことには違いないのかもしれませんが。
引退について小室さん自身、報道は「きっかけ」と言っています。
今回の報道の責任を取るという意味もあると言っていますが、いろいろなことが重なり、今回の報道で心が折れたのだと感じました。
続くであろう報道に対応すること、もう一度引退会見をすること、そういう気力がなかったように感じました。
今日頑張れば、という気持ちで、あれだけ長い時間かけて、会見をしたのかもしれないと。
もし不倫の釈明と引退は別にするべきなら、不倫の釈明会見が終わった後、これから引退会見をします、とすればよかったのかな?
会見では、小室さんが引退を決意するまでの状況や、心の流れの経緯を話したのだと思います。
話し上手な人ではないと思うのですが、
介護の話→自分の体調→A子さんとの関係→仕事に対する自信喪失→引退
という話しをされたのだと私は理解しました。
これでA子さんの話も、引退の話も全部話したことになります。
ただ「引退」を先に言ってしまったので、引退会見が印象に残ってしまったのだと思いますが。
今回の会見は、小室さんにとっては、無意識のうちに自己防衛が働いたのかもしれません。
これ以上のストレスは耐えられないから、それから逃げたかったのだと。
精神状態の違い
テレビに出演している人は、出演して、自分の意見を言えるだけの体調と精神状態を持っています。
社交的な人や、ズケズケとものを言える人は、人の意見をねじ伏せるだけの力もある。
元気な人が何を言っても、自分の精神状態をベースに話すので、批判的になる。
元気な人からみたら「KEIKOさんのことをあそこまで言うのはおかしい」「引退を一緒にするのはおかしい」と思うかもしれないけど、それは健康な人だからそう思えるのだと思う。
小室さんの状態や精神状態を想像できない人が、あれこれ想像して話をしても、結局その想像は、元気な人の考え方、理性、倫理観の範疇を出ないのだと思いました。
疲れているときは、正常な判断ができないこともあります。
心が疲れていれば、なおさらです。
ときに、何でも自分が悪い、罰を与えられている、と感じてしまうこともあります。
コメンテーターの人の中には、小室さんの精神状態を視野にいれて、コメントしている人もいます。
人間性の違いなんだな、と思いました。
言論の自由
本当のところは本人にしか分からない。
言論の自由もあります。
マスコミの人は自分の仕事をしているだけ。
こんなことを書いている私も、結局、人の事をあれこれ言っている。
やっていることは、マスコミと同じなのかもしれない。
でも言論の自由があるのなら、私の感じたことを書いてもいいのかもしれないと思いました。
こういう話題を好む人もいます。
雑誌が売れるから書く、視聴率が取れるから報道する。
仕方のないことです。
でもその内容にうんざりしたり、やめてほしいと思っている人もいます。
そして、不愉快な気持ちになったとき、私のように何か言いたくなってしまう人もいます。
結局、報道に反応すること自体、マスコミの思惑にはまっているのでしょうね。
嫌ならマスコミの報道をみないという選択肢もあるのに。。。
書きながら、ホントは無視することが一番なのになぁと、自分のこらえ性のなさを感じています。
小室哲哉さんの会見をみて思うこと
私の勝手な思いを、
最後までお読みいただきありがとうございました。