羽生結弦特集オリンピック連覇への思い・ケガ・戦略全てを語る/NHKスペシャル平昌五輪
投稿日:2018年2月28日 更新日:
フィギュアスケート男子シングルで、金メダル連覇を成し遂げた羽生結弦選手。
平昌オリンピックの3ヶ月前に右足を痛め、大変な逆境に立たされました。
それを乗り越えての金メダルです。
羽生結弦選手が、戦いを制するまでの舞台裏を放送した、NHKスペシャルをまとめました。
去年9月の時点で決めていたプログラム
昨年9月の時点で決めていたプログラムでは、フリーとショート、合わせて4種類の4回転ジャンプが入っていました。
でもオリンピックで跳んだのは2種類です。
羽生選手は、常にチャレンジをしていくタイプなので、ジャンプの種類を絞るのに、葛藤があったと思いますが、その決断に至った思いを語っています。
「オリンピックは勝ちに行く試合じゃないと勝てない、というのはすごくわかっているので、勝てるプログラムにしないといけないなーとは思っていました。」
平昌オリンピックまでの3ヶ月間
11月の試合、公式練習中にルッツのジャンプで転倒して、右足首を痛めてしまいます。
そして、3ヶ月間、公の場に姿をみせませんでした。
その間、どのように過ごしていたのでしょうか?
羽生選手は、ジャンプの感覚を忘れないように、自分が出場した動画を繰り返し見ていたそうです。
リハビリを始めたのは練習拠点のカナダトロント。
当初はリンクに立つことすらできませんでした。
その頃の羽生選手は、
「足首の怪我をした後に、スケートができるのかできないのか、考えなくてはいけないような怪我なので、それがあったからこそ、今回のオリンピックが最後になるかもしれない恐怖感との戦い、そういう意味での特別感というのはすごく感じていたなと思っています。」
1月からの練習とジャンプ
怪我から2ヶ月が経っていました。
1月の第1週、リンクに立ちました。
右足には痛みが残っていて、ジャンプをすぐに跳ぶことはできませんでした。
この時期、羽生選手をそばで見守っていたのは「ジスラン・ブリアンコーチ」。
ブリアンコーチはジャンプの指導を専門で見るコーチです。
ブリアンコーチは、
「練習再開から一週間後で3・4回転ジャンプを跳べると思っていましたが、違いました。
ジャンプ練習の再開を待てば待つほど、オリンピックが近づき不安が増しました。」
と語っています。
羽生選手は、オリンピックに間に合わせるために、痛み止めの薬を飲む決断をします。
「痛み止めを飲んでまでやるということは、怪我を治すと言う努力をしなくなる、また悪化させる覚悟を決めることなので、ただ自分の心の中では、どんなに痛くなろうが、この先動けなくなろうが、絶対にここで金メダルを獲らないといけない、と言う使命感と意志はすごくあったので、全く諦めるという選択肢は浮かんでも来なかったですね。」
そして、1月中旬にジャンプの練習を始めます。
ブリアンコーチの話
「私たちには細かい点を修正する時間が残されていませんでした。
あと一年あれば良かったのですが、わずか3週間でした。」
フェルナンデス選手の話
同じコーチのもとトロントで練習を行っていたフェルナンデス選手は、ジャンプを始めたばかりの羽生の姿を覚えていました。
「痛みはまだあったと思いますが、羽生は元の状態に戻ろうと訓練していました。あの期間は本当にきつかったと思います。
羽生はまだ怪我から回復する途中にいて、ジャンプがうまく跳べないこともありました。」
アクセルジャンプ
1月下旬にあるできごとが起こります。
回転数を増やしていく過程で、ダブルアクセルを跳んだ時のことです。
ダブルアクセルは失敗ばかりでした。
ブリアンコーチが、「トリプルアクセルを跳んでみたら」と言います。
トリプルアクセルは一発で決まりました。
羽生は選手「 Oh My God」 と言って笑っていました。
この時に大きな手応えを掴んだそうです。
なぜトリプルアクセルよりも簡単な、ダブルアクセルが跳べなかったのか?
それは、いつもはダブルアクセルを練習することがなく、体がトリプルアクセルの跳び方しか覚えていなかったからなのだそうです。
この出来事から数日後、羽生選手は4回転ジャンプを跳び始めますが、オリンピックまで2週間を切っていました。
オリンピックへの思い
オリンピックが開幕し、羽生選手は現地入りします。
3ヶ月ぶりの公の場で、羽生選手は勝利への決意を口にしました。
「どの選手よりも一番勝ちたいという気持ちが強くあると思うし、しっかりと頂点というものを追いながら、頑張っていきたいと思います。」
ショートプログラムの戦略
公式練習では、怪我の回復具合を知ろうと、多くの視線が羽生選手に集まります。
初日は基本動作の確認だけにして、4回転ジャンプを封印しました。
ライバルに手の内を明かさないようにしていたのです。
「僕の練習っていうのは、勝ちに来る選手たちにとっては、非常に大事なものだと思っていたし、 何かをやるたびに一挙手一投足を報道される、それは最初から覚悟していたことなので、最初はすごく落とした練習から始めました。」
羽生選手は、ショートプログラムの構成を変えることを決めていました。
怪我をする前のショートプログラムでは、4回転をループとトウループの2種類を跳ぶ予定にしていました。
このうち最初の4回転ループを、4回転サルコウに変えたのです。
ループは、跳ぶ直前に足をクロスさせるため、怪我をした右足に負担がかかります。
サルコウは得点はループよりも低いですが、滑っている勢いをそのまま生かして、跳ぶことができます。
羽入選手はサルコウを確実に決め、出来栄え点を取る作戦に出たのです。
「色々と計算しながらやらなくてはいけないと、僕の中では考えていました。
ショートプログラムはこの構成でしっかり固めて、守りじゃなくて固めた上で勝ちにいこうと」
しかし、現地に入ってからの練習では、サルコウをなかなか成功させることができずにいました。
ブリアンコーチは、不安気な羽生をこう励ましました。
「羽生は4回転ジャンプを跳ぶ技術を持っています。心と体がそのイメージを覚えているはずだから、自分を信じろと伝えました。」
2/16のショートプログラム
4カ月ぶりの実戦です。
カギになるのは、最初の4回転サルコウですが、これを見事に成功させ、出来栄えでも満点にちかい2.71を獲得。
そしてもう一つの4回転ジャンプ、4回転トウループも完璧に決めました。
羽生選手は、演技後「ただいま」とつぶやきました。
「ただいま」という言葉について
「ただいまって言えるものにしたいとすごく思っていた。
たくさんの方々の期待、そういうものをちゃんと受け止められたショートプログラムだったからこそ、自分でそういうふうに言っていいな、言えるなって思った。」
ショートの順位は1位。羽生選手の作戦が成功したのです。
「何より自分の今の状態のベストを出して、このくらいの点数だと、自分の中でも最終的に演技をして点数を見た時に、このくらいの点数だと思ったので、自分の中では計画通りと言うか、しっかりと自分の思った通りにできたんじゃないかなと思っています。」
フリーの戦略
ショートが終わっての会見で、
「明日のことについてはまだしゃべるつもりはありません。明日の調子次第で構成を決めたいな、と思っています。」
と語ります。
オリンピック前に考えていたフリーのプログラムには、4種類5本の4回転ジャンプが入っていました。
このうち、何を残し何を捨てるのか。
「ジャンプが4種類になってくると、4回転が5つ使えた上で、トリプルアクセルも2本使える、ただそこまでの体力と練習量は積んでいない、だから必然的に3種類、4回転ジャンプは3種類4本」
羽生選手が考えたのは、ループ、サルコウ、トウループでした。
このうちループは、現地入りする直前に跳べるようになり、完成度に不安が残っていました。
4回転ループに挑むべきか、羽生選手はライバルと自分を比較し冷静に分析していました 。
フェルナンデスとの差はわずか4点、しかしフェルナンデスのフリーの4回転は、羽生選手より1本少ない3本です。
「フェルナンデスの構成は、自分が一番知っているし、手の内を知っている仲なので、彼がノーミスをした場合の点数はかなり高いけど、ただ僕はもう一段階上の構成を行なっているという自信はあった。」
7点差の3位、宇野昌磨、彼は3種類4本の4回転ジャンプを跳ぶことを明らかにしていました。
「フリーの点数としては負けることがあるかもしれないけれども、ショートでの合計点では勝てるという自信があったので、そういうことも含めてループはいらないかな、完全なサルコウで自分のベストの状態で演技をしようと決めました。」
フリーに4本入れた4回転のジャンプのうち、ポイントは前半のサルコウとトーループ、ここで出来栄え点を狙います。
基礎点が1.1倍になる後半、高得点を狙える4回転からの3連続ジャンプを組み込みました。
最後に持ってきたのは3回転ルッツ、ルッツは怪我の原因となったジャンプです。
「綿密に作戦を立てていたし、全部回りきって質の良いものを全部やれば、この試合自分自身に勝てれば、という気持ちはすごくあった」
2/17のフリープログラム
最初のジャンプ4回転サルコウ、4回転トウループ、完璧に跳んで出来栄え点は満点でした。
演技後半、最初の4回転ジャンプも綺麗に決めます。
「勢いに乗ってこのまま行けば、ノーミスができるなとふと思ってしまった自分がいて、若干そこで集中が切れた」
得点源であるはずの4回転からの3連続ジャンプが1本だけになりました。
しかしその直後、 とっさの判断で、2連続ジャンプを3連続ジャンプに変更します。
「何回も何回もコンビネーションの難度の差で、負けてきた経験があったので、気持ちと意地で、なんとかミスを防げることができたので、なんとかなったな、という感じはしました。」
最後のジャンプはケガの原因となったルッツ、着地が乱れ、手を付きそうになりますがこらえます。
この時のことを羽生選手は、
「確実に転倒する降り方なので、足首をひねってしまった時のような降り方なので、何か不思議ですあのルッツに関しては、本当に皆さんの応援の力が物理的に働いたのかなと思いました。」
と言っています。
戦いの舞台裏、逆境を乗り越えて
羽生結弦選手の言葉
「初めて自分のことをコントロールしながら、または考えながら、作戦立てながら、自分で掴み取った金メダルって言えるんじゃないかなと思う。」
「自分に勝った、自分の感情が爆発したような試合だったので、多分初めてですこういうの」
ブリアンコーチ
「人生では壁にぶつかることもありますが、努力し自分を信じることで乗り越えることができるのです。」
そして最後に、羽生選手は、今回の平昌オリンピック、そして連覇ということについて、このように語りました。
「今回の2個目の金メダルというのは、一番小さい頃の夢だったので実現するために苦労がたくさん必要だなって思えるようなものでした。」
「今まで人生をスケートにかけてきて、すごく良かったなと思える瞬間のものでした。」
羽生結弦選手は、沢山の逆境を乗り越えて、金メダルをつかみ取りました。
金メダルに対する執着、誰よりも強い気持ちもありますが、金メダルを獲るために、冷静に考え準備をするということも、誰よりも実行した結果のように思いました。
ご覧いただきありがとうございました。