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手紙・東野圭吾|原作あらすじ.結末ネタバレ.映画との違い.ドラマは?亀梨和也

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手紙

 

東野圭吾さんの著書「手紙」は、映画化も舞台化もされています。

今度は、テレビ東京で亀梨和也さん主演でドラマ化が予定されています。

原作を読んだことがあるので、原作のあらすじをまとめました。

また原作と映画、ドラマの違いを調べてみました。



 

 

原作のあらすじ

兄が犯罪者に

武島剛志(兄)と直貴(弟)は、幼い頃に父を亡くし、母も剛志が高校生、直貴が中学生のときに亡くなる。

勉強が苦手だった剛志は、高校を中退しバイトをしながら、直貴を養っていた。

「大学に行かなきゃだめだ」と言っていた母の影響もあり、剛志は直貴を大学に行かせることを義務だと思っていた。

 

剛志は体力を生かす仕事を選んだが、そのことで腰を痛めてしまう。

生活は苦しく、直貴を大学に行かせる貯えもなかった。

剛志は、直貴の大学進学のお金を工面するために、一人暮らしの老婦人宅へ空き巣に入るが見つかってしまう。

警察に通報されそうになるのを止めようとして、老婦人を刺殺し逃げるが、腰の持病により動けなくなり、警察に捕まる。

 

剛志は弟のことを思うがあまり罪を犯してしまったが、その事を悔いて反省をしていた。

 

そして、月に1度、刑務所の剛志から直貴に手紙が届くようになる。

内容は、直貴のことを心配していること、自分自身の近況、そして被害者家族へ謝罪に行って欲しいというものだった。

 

犯罪者の弟

直貴は、働きながら自力で通信大学へ進学し、その後通学過程に転籍。夜の仕事をしながら大学に通う。

大学時代には、バンド活動を始め、メジャーデビュー目前に兄のことを知られ身を引く。

そして、付き合っていた女性とも、兄のことが原因で結婚を諦めた。

大学卒業後、家電量販店に就職するが、兄のことが問題となり、パソコン売り場から物流部の倉庫の仕事に異動となる。

 

直貴は、兄が自分のために罪を犯したことを理解していたし、すまないと思っていた。

最初こそ面会に行き、手紙の返事も出していたが、強盗殺人犯の弟という運命を背負って生きていくうちに、兄からの手紙が鬱陶しくなってくる。

直貴は努力して、自分の人生を生きようとするが、いつも兄の存在が邪魔をするからだ。

直貴が社会で受ける理不尽さと比べたら、塀の中にいる兄の様子は、実にのんきに感じるのだった。

直貴は手紙の返事を書かなくなり、ついには兄からの手紙を読まずに捨てるようになる。

 

社長平野の言葉

物流部に異動になった直貴のところに、社長の平野がやってくる。

平野に「犯罪者やそれに近い人間を排除するのは、ある意味自己防衛本能、差別は当然」と言われる。

自分が罪を犯せば、家族をも苦しめることになるということを、すべての犯罪者に思い知らせるためにも、直貴のことは差別しなければならない。

直貴を信用していないのではなく、会社にとって重要なのは社会性だからだ。と説明される。

 

兄が犯罪者だと分かってから、直貴は周りから気を遣われていた。皆がどう接すればいいのか困ったのだ。それこそが直貴に社会性がないということ。

社会性を取り戻すためには、こつこつと他の人間とのつながりの糸を、1本ずつ増やしていくしかないと平野に言われる。

直貴は今まで自分が甘えていたことに気づき、自分の運命と向き合うことを決意する。



 

 

直貴の決断

直貴は、以前からの知り合いである由実子と結婚し、実紀という娘も産まれた。

由実子は兄のことに理解があり、手紙を由実子が書くこともあった。

社宅に住み生活は穏やかだったが、兄のことが社宅内で知られると、実紀までも保育園で遊んでもらえなくなった。

そんな時、再び平野と話をする機会があり、直貴は「逃げずに頑張ってきたが、これ以上どうすればいいのか?」と問う。

平野に「正々堂々というのは、苦渋の選択だろうか?分かりやすく選びやすい道としか思えない」と言われ、直貴は家族を守るために、兄と縁を切ることを決める。

 

最後の手紙

直貴は兄に最後の手紙を書いた。

殺人犯の弟というレッテルを貼られた生活はどんなものだったのか、この先由実子や実紀もそんな目にあうことになる。家族を守るために縁を切ると。

 

この手紙で、剛志は自分の存在が直貴を苦しめてきたこと、その事を予想できたのに、直貴にこんな手紙を書かせるまで気づかなかった自分に震撼する。

 

剛志は毎月直貴に手紙を送っていたように、被害者遺族にも手紙を送っていた。

直貴から絶縁の手紙をもらったことで、自分が書いていた手紙は自己満足でしかなく、被害者遺族にとって、不快極まりないものだったと気づく。

剛志は、遺族にそのことを詫び、最後の手紙とした。

 

直貴は、被害者遺族の家に謝罪に行った際に、剛志の手紙のことを知るのだった。

 

ラストシーン

そんな時、バンドを続けていた寺尾から連絡をもらう。

バンドはメジャーデビューをしたものの、苦戦していた。

寺尾は新しい試みとして、刑務所で慰問コンサートをしていた。

次の場所は直貴の兄がいるところだった。寺尾は「一緒に歌わないか」と直貴を誘う。

 

果たして、直貴は慰問コンサートの舞台に立っていた。

「この観客の中に、どこかに兄がいる。精一杯歌おう」と、声を出そうとした瞬間、深く項垂れ、詫びるように、祈るように合掌している兄の姿が目に飛び込んでくる。

直貴は、立ち尽くし、声を出すことができなかった。

 

映画・ドラマの原作との違い

ドラマは直貴役を亀梨和也さんが演じます。

映画は、直貴を山田孝之さん、剛志を玉山鉄二さんが演じています。

 

映画は観ていないのですが、あらすじによると、直貴はバンドではなく芸人を目指すようです。

ドラマや映画の芸人のネタって、何となく白けてしまうので、芸人の直貴役って難しそうです。

口コミでも、やっぱりお笑いの役はイマイチ、と言っている人もいます。

ただ最後の慰問での漫才シーンはよかったという感想が多いです。小田和正さんの曲と相まって、一番泣けるシーンとのこと。

 

ドラマは歌か?漫才か? そのどちらでもないか?

いずれにしても、最後の慰問のシーンがあるとすれば、舞台に立てるものになるのだろうと思います。

 

もう一つ大きな違いは、時代背景でしょうか。

「手紙」は、2001年から毎日新聞で連載されていたもので、原作の中に「ネット」という存在が出てきません。

直貴の兄のことが知られる原因は、大抵口コミや兄の手紙です。

 

映画は2006年公開で、匿名のネット住人の存在があるようなので、原作よりも状況はシビアなのかな、と想像しました。

 

そしてドラマですが、こちらは、現代版の「手紙」として描かれるとのこと。

今はSNSで誰もが簡単につながることができます。

小さな過ちであってもアッという間に広がって袋叩きにあいますし、誤った情報でもそれを信じてしまう人が大半です。

こんな時代の「手紙」となると、加害者家族がどんな目にあうのか、考えただけでも怖くなります。

映画よりも厳しい環境に置かれるのだろうな、と思います。

 

 

「手紙」は、とにかく考えさせられるお話です。

家族の絆とは? 償いとは? 加害者家族の責任は? 被害者遺族の気持ちは?・・・

原作は、終盤の直貴、剛志の最後の手紙、被害者遺族の思い、そして最後の慰問。この辺り、ホントに切なくて泣けます。

映画も、ラストの漫才シーンは圧巻とのことで、涙が止まらない人続出のようです。

ドラマはどんな風に締めくくられるのでしょうか?



 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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